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郷土大学による宮本民俗学の継承
山口県
周防大島町
周防大島町
(旧東和町)
周防大島郷土大学
郷土大学による宮本民俗学の継承
●周防大島町の位置は?
 周防大島町は、山口県東南部の瀬戸内海に浮かぶ半島(現在、大畠瀬戸をまたぐ大島大橋で本土と結ばれている)に位置し、瀬戸内海に浮かぶ島では3番目の面積を有している。地勢は、全般的に山岳起伏の斜地で600m級の山々が連なり、海岸部に狭隘な丘陵地が広がる程度で、大半を山地が占めている。年間平均気温16℃近くと温暖で、典型的な瀬戸内海気候を呈している。なお、周防大島町自体は、平成16年10月1日に大島郡の久賀町、大島町、東和町、橘町の4町が合併して誕生した。
 平成18年現在の人口、世帯数は、21,498人、10,865世帯であるが、終戦当時の島内人口は6万人を越えており、急激な過疎化が進んでいる。また、高齢化率も45%を越えており、全国でも、最も過疎高齢化の進行が著しい地域のひとつである。産業は、柑橘栽培を主体とした農業と、地先海域を漁場とした沿岸漁業が中心で、近年“サザンセトリゾート”地域に指定され、観光振興にも力を入れている。
 また、従来から移民の島として有名であり、現在でも、ハワイ州カウワイ島との姉妹島縁組や、中国銅綾市との交流等が盛んである。

●これまでの取組みは?
 優れた業績を残し、多くの後進を残した、著名な民俗学者である宮本常一は、現周防大島町(旧東和町)の出身であり、彼の民俗学の発祥地と言える。そもそも、郷土大学は、宮本常一が存命中の、昭和55年に、彼を学長として、東和町に開校された。開校後、宮本は、熱心にふるさとに通い、地元住民に直接講義を行っていたが、翌昭和56年の1月末に亡くなる。
 従って、宮本常一自身が、郷土大学で講義したのは、開校後計8回だけになり、実質的な郷土大学自体の活動は停止することになる。しかし、開校に携わった地元の人びとの、宮本及び郷土大学に対する情熱は静かに引き継がれ、亡くなって程なく、東和町の事業として「宮本常一記念事業(当時の町長が会長)」に着手され、宮本の業績に関する出版やシンポジウム等が行われた。その当時の関係者による、宮本が残した膨大な量の写真の整理や、関係図書の目録づくりが、その後の、郷土大学の再生につながる。
 このような気運の中、平成15年1月に、関係者の努力により、郷土大学が再開することになり、現在に至っている。

●都市漁村交流事業の内容は?
 平成15年1月に再開された、郷土大学は、周防大島町誕生の平成16年には“周防大島郷土大学”となり、当初の募集に応じた“学生”は、周防大島住民を中心に、約150名を数えた。しかし、平成18年現在の、会費納入“学生”数は、約100名程で、毎回の講義やイベントに出席する“学生”は50名〜80名規模である。
 平成15年の再開校以来、不定期に、宮本民俗学や宮本自身に興味を持つ著名人や有識者を呼んだ講義(講演)やシンポジウム等が開催され、平成18年度末時点の累積で34回開催されている。
 運営費は、基本的に100名の学生の“学費”(4,000円/年)と、講演やイベント参加料(聴講生から1,000円徴収)のみである。従って、経費が潤沢とは言い難いが、講義・講演に招聘する講師は、謝金等の金額に関係なく、宮本常一の“郷土大学”という「思い」を持って、皆喜んで引き受けてくれると言う。また、活動を支える中心メンバーも殆ど、ボランティアで作業に従事し、行政も、事務局を町内に置いたり、町の施設である周防大島文化交流センターが、講演やイベントの場として提供されている。
 このように、関係する人びとの、宮本常一に対する愛情と思いにあふれた取り組みであり、関係者によれば、郷土大学開校により、散逸の恐れが大きかった様々な関係資料が、全国からの寄付により、周防大島に集まっている。このことは、地域の大きな誇りとなっている。