―九州ツーリズム大学学長代理 江藤 訓重 氏に聞く―
江藤 訓重
氏
小国町商工企業促進課長/財団法人学びやの里理事長/九州ツーリズム大学学長代理)
1953年、熊本県小国町生まれ。大学卒業後、農林業の傍ら、小国のタウン誌「とっぱす」を主宰。おぐにみらい塾長を経て、研修交流施設「木魂館」館長。農事組合法人〔小国黒豚生産〕小国グリーンファーム理事、熊本大学非常勤講師、国土交通省地域振興アドバイザー、国土交通省若者地方体験交流事業運営委員会委員、農林水産省ラーニングバケーション検討委員会委員 熊本ツーリズムコンソーシアム会長などを歴任。
九州ツーリズム大学は、農山村で地域資源をいかしたツーリズムを実践していくための人材育成やノウハウを学ぶ場として、1997年に熊本県小国町に開校した。開講期間は毎年度9月〜3月。ツーリズム学科、観光まちづくり学科、環境教育コースの3つの学科が設置されている。講師陣には地域づくりや環境教育の専門家、国際的なツーリズムの研究者、農家民宿やNPOの実践者などを全国から迎えている。
さらに、ツーリズム大学の卒業生や修了生(聴講生)を対象とした大学院と、大学付属の幼稚園、小中学校という位置づけで子供たちの自然体験の場である「どんぐりのぼうけん」と「とんぼのがっこう」が併設されている。
小国に開校したツーリズム大学
―九州ツーリズム大学は今年で11年目を迎えられたわけですが、
そもそもなぜ「小国」だったのでしょうか
1996年の冬、九州21世紀委員会(西日本新聞社主催)が小国町の研修施設「木魂館」で九州ツーリズムシンポジウムを開催しました。その時のメインテーマは「農村と都市が対等に交流しながら、ライフスタイルの変更も含む新しい旅の文化をどう創造するか」ということでした。
ツーリズムを実践していく上での参加者共通の悩みは「人材育成や実践的ノウハウを学ぶ場がない」ことでした。小国町では、このシンポジウムを契機にして、ツーリズムをまちづくりの一環としてとらえることになったのです。
九州ツーリズム大学は、観光の神様である湯布院の中谷健太郎氏(21世紀委員会委員)が提唱しました。ツーリズム大学をどこに開校するかということについては、九州の地域づくりの先進地である湯布院(大分県)、綾町(宮崎県)、そして小国町の自治体が候補にあがりました。主催者である西日本新聞の元熊本総局長山本巌氏は小国町を推薦しました。佐藤誠前熊本大学教授は湯布院を推薦しました。結局、宮崎前小国町長の「小国町で開校したい」との意見が尊重され、小国町に決定しました。
こうして1997年9月に財団法人学びやの里を事務局にして、農山村でツーリズムを実践していく担い手やリーダー、コーディネーターとなる人材の育成及び、各地域で求められているツーリズム関連の情報受発信センターを目指して「九州ツーリズム大学」が開校したのです。
講師陣には地域づくりや環境教育の専門家、国際的なツーリズムの研究者、農家民宿や農家レストランの実践者など多彩な人材がいて、これまで小国町が培ってきた人的ネットワークを基本に広がっています。現在は、自前の講師陣が増えています。自前、というのは、卒業生や地域づくりインターン事業(大都市圏の若者(大学生)との交流事業。現在、この事業は国土交通省の事業となっているが、きっかけは小国町、特に財団法人学びやの里の取り組みがモデルとなっている。)によって育ってきた人材です。
例えば、卒業生には養父信夫(情報誌九州のムラ編集長)、井手修身(イデアパート(観光計画))、杉森直美(日本人初のフランスのツーリズム学校の卒業生)、その他九州各地で活躍する実践者などがいます。インターン学生経験者は東大、東工大、早稲田などの卒業生が中心で、現在、大学の教官、旅行関係、省庁関係、実践者などがいます。
木魂館
昭和63年に小国の地域づくりの中心施設として建設された研修宿泊施設。シンポジウムやコンサートなども開催される。小国の伝統的工法である「置き屋根」を基にした「ボックス梁」という新工法で造られている。
ツーリズムをまちづくりの一環としてとらえる
―ツーリズム大学の最大の意義はどこにあると思いますか
ツーリズム大学の意義はたくさんありますが、その中でも大きいことは、従来の観光とは違ったツーリズムというキーワードによるまちづくりを全国に広めるきっかけを作れたことと、地域資源を見つめなおす地域振興の方策を提案できたことだと思います。
また、「小国」という地域からの視点でいえば、小国町イコール「ツーリズムによる地域づくり」という新たな地域ブランドの創出に寄与したのではないでしょうか。この地域ブランドによって、九州におけるツーリズムの先進的な取り組みとしての確たるステータスを築くことが出来たのだと思います。例えば、第1回オーライニッポン大賞を始め多くの受賞をしていますし、同様の活動が全国的な広がりをみせる中、創業者利益として視察者などが増加しました。
さらに、地元に商家民泊や農家レストランの開業を始めとしたツーリズム関連のビジネスが生まれたこと、受講生を中心に「小国ファン」が生まれたことなどは、ツーリズム大学が小国という地域に根付き、地域とともに展開してきたことを物語っています。「小国ファン」のネットワークは、例えば小国への移住者の増加や、ネットワーク基金事業に卒業生などからの寄付が寄せられているなど、小国町のまちづくりに具体的な影響を与えています。
自由な雰囲気で積極的に人を受け入れる
―小国はUターン、Iターンしてくる若者がたくさんいて、夜の居酒屋もとても賑やかですよね。人に「戻ってきたい」、「ここに住みたい」と感じさせるものが小国にはあるのだと思うのですが、江藤さんから見てそれは何でしょうか
小国町のこれまでの地域づくりの概念のひとつに「開かれた地域をつくる」がありました。これは宮崎前町長時代の考え方でしたが、そのために交流事業を中心に活動してきたという経緯があります。また、自由な雰囲気づくりに努めてきたこと、首都圏の学生を中心に積極的に受け入れて来たことといった要因が、地元の若者に少なからず影響を与えたということもあると思います。
―ツーリズム大学が歩んできた10年間という時間は、地域にもいろいろな変化をもたらしたのではないかと思うのですが・・・
いろいろなことがあります。例えば、町内に交流ビジネスが芽生えてきました。数字を挙げれば、民泊が5軒、農家レストランが5軒、営業を始めています。また、中学生の農村宿泊体験ということで、うるるん体験教育というのをやっていますが、ここには北九州の中学生を毎年1000人受け入れています。ツーリズム大学の事務局ではリスクマネージメントなどの確立に努め、受け入れ態勢の充実に力を入れています。
最近では国内だけではなく、韓国を始めアジア・アフリカ諸国から視察が来るようになったことも、地域にいろいろな影響を与えていると思います。10年という時間の流れの中で、「ツーリズム」という言葉は日常化されてきましたし、アジアやアフリカと言った国々にも広がっていきつつあります。
大学の付属機関として位置付けている子どもたちを対象にした「おぐに自然学校」が拡充してきましたし、自然学校が開催されるときには、福岡市内からのバスの運行も行われるようになりました。これはツーリズム大学の卒業生の企画です。
また、ツーリズム大学の卒業生が移住してきたり、小国のまちづくりに参画するという流れがでてきています。ツーリズム大学関係者と地元との結婚は5組になりました。
海のツーリズムへの期待
―やっと最近になって、漁村でも「交流」や「ツーリズム」というキーワードが出てきたところなで、この動きを漁村地域の元気につなげていければいいな、と思っています。どうも漁村では、農山村よりもこれらの動きが鈍いようで、このような活動が出てくること自体遅かったと思います。江藤さんから見て、漁村での交流、ツーリズムというのは、農山村と違うという印象がありますか
ツーリズムは時間をかけたゆっくりとした取り組みでもあり、農耕を主体とした農山村と漁業という狩猟的な(つまり一過性という性格の強い)就業とのリズムの違いもあると思います。
また、漁港には民宿(釣り)もあることから、ツーリズム的な民宿(民泊)はなかなか成立しにくいのではないかと思います。
農山村の場合は行動圏として、360度の展開が可能ですが、漁村の場合は海が180度存在します。海には人は住めませんから、行動圏として考えた場合は不利と言えるかもしれません。
また、漁村振興はハード面に力を注いだ取り組みが多いのではないでしょうか。農山村の方がソフト面での取り組みが早い時期から行われてきたような気がしております。
しかしながら、漁村においてはこれからの取り組み次第で可能性は大きいと思います。
まずは、人づくりからと思っています。先日、北海道のツーリズム関係者と話をする機会がありました。その時その方から、北海道ではハードや仕組みが先行し、基本となる人づくりに欠けていることが、九州と比べてツーリズムということが進まない大きな理由であるという意見をお聞きしました。
人材育成という永い時間がかかる作業を進めることの重要性を感じました。
地道な活動が実を結ぶ
―ツーリズム大学では人づくりと、ネットワークというのが非常に重要なキーワードだと思うのですが、漁村を歩いていると、みんな頭では分かっているけれど実際には出る杭を思い切り打ってしまったり、自分たちの範囲の中から出られないというケースも見かけます。こういう地域の壁のようなものをどうしたら少しでも風通し良くしていけるのでしょうか
地道に交流活動を続けていくことが大切だと思います。九州ツーリズム大学でも、本当に効果が出始めるのには5年はかかったと思っています。
交流活動を行うことは、従来のコミュニティにはなかった活動ですので、これまでにない能力が求められると思います。ですから活動を始めることで、長老支配に変わる新たな地域リーダーが生まれる可能性があり、そのことがきっかけとなって風通しの良い地域に変貌する事例をみかけます。
―今、他の地域でもツーリズム大学ができてきていますが、これらの姉妹校との連携はどういう形でとられているのでしょうか
北海道ツーリズム大学が休校する前には同大とは交流をしておりましたが、現在ははっきり言って連携はないに等しいです。その要因は他のツーリズム大学の活動が定期化してないこともあげられると思います。
現在は海のツーリズム大学が存在しません。ですから、どこかに海のツーリズム大学が開校すれば、連携のニーズはあると思っています。
今後のツーリズム大学の展望
―ツーリズム大学は10年経ちましたね。一つの区切りという感慨もあるのではないかと思うのですが、次なる10年、さらにその先に向けた構想や抱負、願いなどありましたら教えてください
本当の大学にしたいと思っています。大学は無理でもフランスにあるAFRATのような専門学校は可能と思っています。現在、ほとんどの大学が都市に存在しますが、農山漁村を基盤とする学校も必要だと思っています。都市の発展のための学校ではなく、農村漁村の発展に寄与する学びの場の創設は、今後の日本を考える上で必ず求められるものだと思います。農山漁村に住む人々の再教育の場づくりが重要なのではないでしょうか。
九州ツーリズム大学の活動の中で、実践者も多く生まれましたが、実は次代の研究者たちも育っています。
法政大学の図司君(専任講師)、東京女子大・東京国際大の舩戸君(非常勤講師)、宇都宮大学の神代君(専任講師)といった東大農学部などの出身の若き研究者の卵です。特に、図司君は故山崎光博先生(明治大学教授)のツーリズムの精神を受け継ぐ人材だと思っています。他にも多くの若者たちがツーリズム大学にて学んでいます。彼らを中心に恒常的な新たな学びの場の創設は可能であると思います。
このインタビューの後、早速江藤さんが2月のツーリズム大学の講師として呼んでくださいました。海のツーリズムということで話をさせていただきましたが、見渡せば山もあるけど海もあるのが日本です。山と里と海とそして都市とが連携していくことで、これからの地域がもっと活発にもっと豊かに、そしてもっと楽しくなっていくのではないか、そんな思いを持つことができました。
(インタビュー・構成:海とくらし研究所 関 いずみ)